河野太郎|慶応大学退学した理由、本当の出身大学・学歴について気になります。
河野太郎さんの学歴には「慶応大学中退」とありましたが、真相が気になります。
政治家って『中退』とかには無縁だと思っていたけど、一体どんな理由で退学したのでしょうか。
この記事では
- 河野太郎|慶応大学を退学した理由
- 河野太郎|本当の出身大学や学歴
についてわかりやすくお知らせします。
河野太郎|慶応大学を退学した理由は?
学生時代の河野太郎さんは、
将来の首脳会談では英語で話が出来なければ!
と強く将来を考えていました。
そのために必要な選択として、大学を退学する道を選んだと2008年12月12日の『SFC CLIP』で語られていましたよ。
慶応大学中退した河野太郎さんは
に改めて入学し直しています。
もちろん、こちらの大学は無事に卒業までされていますよ。
このアメリカ生活において河野太郎さんは、『日本にいたら学べなかったこと』について色々学ばれています。
それについては
米国においては、政治家を支えるスタッフの助言が政治家の判断に多大な影響を与えている
と海外での経験に感銘を受けたということをお話しされていましたよ。
日本だと『家族が政治家に影響を与える』なんて…絶対にありえないですよね。
渡米後、河野太郎さんは現共和党上院議員シェルビー氏の事務所でインターンシップを経験しています。
学生の立場でここまでの経験というのは、日本にいたら出来なかったでしょう。
つまり
のも、河野太郎さんは慶応大学を中退したからこそと言えますよね。
河野太郎さんといえば、現職の政治家の中では少し変わり者という印象を受けますが…昔から気質はあったのかもしれませんね。
現職の政治家として活躍される河野太郎さんの経歴に、まさか「中退」という経験があるなんて驚きですね。
ちなみに、
というスピード退学だったんですよ。
この事実に関して河野太郎さん自身も隠してはいないようで、周囲も周知の事実のようです。
ただ、それは自分が信じる道をひたすら真っすぐに突き進んできた結果に過ぎません。
河野太郎さんの場合には、その自分の信じる道のために『退学』は必要なものだったんですね。
河野太郎|本当の出身大学や学歴は?
河野太郎さんの本当の学歴については以下の通りです。
1975年3月 | 平塚市立花水小学校卒業 <ボーイスカウト平塚第5団所属> |
1978年3月 | 慶応義塾中等部卒業 <一般受験から入学。競走部主将を務める> |
1981年3月 | 慶応義塾高校卒業 <内部進学で高校へ。競走部主将を務め、箱根駅伝を目指す> |
1981年4月 | 慶応義塾大学 経済学部入学<2ヶ月後に中退> |
1982年9月 | 米ジョージタウン大学 入学 比較政治学専攻 |
1985年12月 | 米ジョージタウン大学 卒業 比較政治学専攻 |
河野太郎さんの学歴は素晴らしいものですよね。
大学だって1年遅れではありましたが、無事入学&卒業しているんですよ。
さらに、ジョージタウン大学在学中の1984年にポーランド中央計画統計大学(現在のワルシャワ経済大学)へ交換留学しています。
当時のポーランドは、
財産は私財ではなく『共同体による所有』とすることで貧富の差をなくす
ことを目指していた共産主義の体制下にありました。
この留学経験においても、河野太郎さんの現在の政治観に大きな影響を与えたと思われますよ。
この交換留学でに伴ってジョージタウン大学は休学していたのですが、1985年1月には再び大学に復学しました。
河野太郎さんは1985年12月にジョージタウン大学卒業するまで、自分のために学び続けたのでしょうね。
河野太郎|学歴まとめ
- 国際的に通用する政治家になるべく、退学を選択
- ジョージタウン大学(比較政治学専攻)再入学
以上のことがわかりました。
河野太郎さんには「少し変わり者」という印象を持たれている方も多いかと思います。
ただそれはご自身の確固たる信念のもとで、考えて行動しているとのかもしれませんね。